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2008.09.10 『イン・ディス・タイム』
In this time
 「4分33秒」という沈黙の楽曲の

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いつものように旧国道一号線から中央環状線へと入る道のりの
茨木の家へ向かう途中で淀川を越える。
信号待ちで数分間の景観を楽しむ。
そこにふたり、河川敷を歩く人が見える。
新調したてのデジカメを双眼鏡に見立ててズームでそれを覗き見る。

二人は会話をしていないように見える。
ただ黙々と、一定の歩調でいつでも互いを殺しあえるぐらいの距離をとって歩いている。
1人は、犬の絵が描かれた服を着ていた。
何の犬かまでは分からないが犬が好きなんだろう。
私は猫が好きだけど、取り立てて猫のモチーフがデザインされたものを身に纏う趣味はない。
だから不思議だ。
犬好きやからって着んでもええやん。
ど根性ガエルのピョン吉のようなものなんだろうか。
私にも、好きなものを近くに置いておきたいという心理は分かる。
だけど距離を楽しむこともある。
いや違うな距離と言うよりも、その関係を曖昧にしたくないだけだ。
少なくとも、私の猫への想いは、
着たいとかそういう類のものに行き渡ることはないのだろう。そうなのだろう。

気がつくと信号が変り車が動き出していた。
人々よ、舞踊せよ。
驚くほどに、高く舞い上がれ。



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ペペロンは大人になってしまった。
以前のように意味なくにゃあ、と鳴くことが少なくなった。
運動不足なのか、お腹のあたりにたるみがある。
トラ猫は自分の意思とは関係なく、大きく育ってしまうそうだ。
ペペロンも例に漏れず、猫としては大きなほうだろう。

ほとんどが寝ているのだけど、時々何かを見るように
どこかを凝視したまま動かなくなる。
スイッチが切れたのか、もしくは入ったかのように聡明な顔つきで何を憂うんだろう。
遠い親のことか、生き別れた兄弟のことか
猫の寿命は約15年ほどだというので、まだ5歳ほどのペペロンに
残された時間は長い。
それでも何も話さないまま、憂う時間ばかりが増える。
その届かない瞳の奥に、私は深い造詣すら感じるよ。
大人になるってこういうことでしょう、と
そうかもしれないけど、それだけではない。
それだけじゃ大人にはなれないはずだよきっと。
そう私は思うのだがね。



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車を洗車する。
僅か5分ほどの時間、エンジンを切って静まり返った車内に
1人こもりきる。
楽曲はなく、外からシャットアウトされた空間に
迸る水音とブラッシングのベース。
生き物のような水が視界をぐにゃりと歪めてちょっとしたぼんやりタイム。
何も考えないし、何もしない。
呆然と洗われてゆくフロントガラスを眺める。

大人になるとは違うのかもしれないけれど
自分にはこういう時間が必要だなと思う。
色んな現象からまるで切り離されているように感じるが、そうとも言えない。
誰しもがそれぞれに、様々な側面を抱えて生きているというのなら、
これだって一つのそれなんだろう。
よく話すことも、黙り込むことも、笑うことも、1人寂しく泣くことも
こうして何もせずぼんやり時を刻むことも
どれもきっと同じことなのだ。
何をしていたって、貴方は貴方ですよと言わんばかりに
時間は平等に采配され、河のように流れを惜しまない。
それは私のようなものにも同じように。




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恋人と久しぶりに街へでかける。
D&Dのクリームブリュレを流し込みながら
ゆるやかな時間を過ごす。
恋人とは半年が過ぎたが、同じ時間を過ごしている時間が長いせいか
もっと長くを共にしているような、安心感がある。

どういうところが好きか?
などといった質問に答えることはむずかしい。
用意していると限定されてしまうし、勢いに任せるとその場凌ぎな気もしてくる。
敢えていうなら、こういう時間にゆるやかに流れる空気が好きだ。
声と、手が好きだ。




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青い層を切り裂くように、雲の合間から燃えるような夕陽が覗く。
日がおちてゆくのが早くなり、
9月の午後18時はすっかり夜の帳と化した。
私はworld's end girlfriendのUnspoiled Monsterを何度も聴く。
ちょうど4分を過ぎた辺りから、音が劇的に色彩を帯びてゆく。
その感覚は、消滅集落に残された家屋の壁を覆っている
ツタやアイビーなどといった生命のようでもあり、
それらが繰り返し、また燃え尽きていく様のようでもある。

時々、ピアノやフルートの音を聴くと哀しくなる。
それは、ただ広い部屋の中ロッキングチェアーに腰かけて
今日の日まで自分が置いてきてしまったもの一つ一つに、
もう一度お礼とさようならを言うような気分になるからなんだ。
こうやって文章にするとどうしても暗くなってしまう。
そうじゃない、哀しいけれど、寂しいわけではない。
うまくは言えないが、
出会いと選別の、あまりの多さと大きさと大切さに
胸が少し締め付けられるといったような。
そしてその残滓たちが、殊勝なまでに今日の心を充満させてゆく。





「4分33秒」という沈黙の楽曲

ジョン・ケージのコンサートでピアノ奏者は音楽を人々の中より解放した。
演奏のない、沈黙の楽曲。
それがその時に演奏されたケージの新曲だったのだそうだ。
”音楽が「音」を「楽しむ」ことだとしたら、
その中心は、音を出す側だけでなく、聴く側にもある”

”ある時間”をしめす砂時計のシリーズより
そんな時間を体感する砂時計が販売されていた。
http://www.livingworld.net/works/john-cage/
砂時計として決して安いものではないが、素敵な商品だなと思う。

あっというまに過ぎてゆく日々の中で
誰かとこういった時間を共有したいものだ。
9月の心地よい夜の時間、
どんなトラックよりも五感に残るような
ありふれたようでかけがえのない時間を貴方にも私にも。
by aoi-ozasa | 2008-09-11 03:08 | Daily life
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25歳なりました。日記は長いです。覚悟してください。
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