もはや調べるのも億劫なので、 実際にそんな言葉が使われているのかどうかまでは知るよしもないが そういう人たちが居る。 たとえばあそこに突っ立ている彼女は知らないのだ。 次の駅でそこの扉は大人気だということ。 たとえばきれいに三角印の位置で電車を待つおじいさんは知らないのだ。 次の電車はそこより数歩左にずれて待っているほうが、より正確だ。 そしてそれとは逆に電車のプロというものも居る。 玄人と言ってもいいが、玄人は味のある響きだと思っているので、ここはあえてプロという言葉を使う。 高校の頃からだけど、毎日のように電車に乗っていると、その電車の癖のようなものを覚える。 この駅とこの駅の間でもの凄い揺れがやってくるから、その間はつり革にしがみ付いておくといいだとか、 この時間帯はもの凄く混むから、この辺で乗車することが望ましいだとか、 まあ内容は至って陳腐なものではあるが、 それでも通勤・通学に電車という手段をとる人間にとってその知識は重要なものである。 そして私は京阪と地下鉄の谷町線はプロなんじゃないか、と思っている。 京阪は端は淀屋橋から、出町柳まで急行の停車する駅を全部ソラで言えるし、 地下鉄の谷町線も途中までなら間違いなく言える。 ただそれ以降の駅は利用したことがないので覚える気がない。 だが、乗り継ぎなんかにかけては素晴らしい働きを見せるし、時間を少し短縮することも可能である。 中途半端にプロだ。 私の住む駅に特急は停まってくれないので、特急電車に乗るためには、京橋まで戻る必要があった。 だけど京橋では乗換えが不便であるし、とても座れそうにないので結局は端っこの淀屋橋まで行くのがほとんどの日課だった。 淀屋橋から終点の出町柳駅へ まさに大阪から京都へ 1時間45分かかる大学までの距離は毎日が遠足であった。 おまけに終電の時間にも心を奪われる。 悠長に制作やおしゃべりをしている場合ではない。 一人暮らしをしたい、と何度も思った。 一人暮らしをすれば、睡眠時間が少しは増やせる。一人暮らしをすれば、友達ともっと遊べるだろう。一人暮らしをすれば、もしかしたら京都をもっと知れたかもしれないし、一人暮らしをすれば、晩御飯を二回も食べなくて済む。 そんな風に一人暮らしへの憧れは幾つも絶えないほどあった。 そしてそこに隠れた欲も、その3倍はあった。 だけど母親がそんなことを許してくれるはずもなく 「もっと遠いところから通っている子も居るんでしょ。」 まさにその指摘も間違いではない。 嘘の付きようもない事実であった。 しかしそれに変えられない素晴らしさに出会えたことについて、 私は今も母に深く感謝している。 京阪電車ではいつも寝てばかりだった。 通学に削られた睡眠時間を補うかの如く、 まるで無理やりにでも眠っていた記憶がある。 読書にふける隣人に目をやって、 よく本なんか読めるよな。と思っていたほどだ。 だが、ときどき課題に追われて一睡もしていないときなんかは、それが出来なくて、 早朝の窓を流れる景色を追った。 枚方市から樟葉へ 世界は突然に変わる。 見慣れた住宅街がどんどん減って、さびれた遊園地の観覧車辺りを境に、その景色は自然に包まれる。 八幡市で河川敷が拡がって、 中書島で工場地帯へ入る。 一度忍び込んだことがあるここの工場地帯は最高に素敵だ。 次第にまた住宅が、人の住む気配が甦ってくる。 あとはだんだんと京都の雰囲気に包まれて、 あっという間に七条だ。 そこからは暗闇。そこからは真っ黒。 地下だから。まっくろ、だ。 帰りはいつも一番後ろに乗った。 そして流れる住宅の光や、小さくなっていく駅のプラットホームを見送るのがとても好きだった。 その頃は邦楽ではくるりをよく聴いた。 京阪電車の歌が出てくるからね。 この気持ちよさをひとり暮らしの私はきっと知らなかっただろう。 大好きなゴットスピードなんかを聴いて、その景色に不言の思いを抱くような、そんな時間を持つことが出来なかっただろう。 たとえばあのおばさんは知らないのだ。 そんなに急いで席をとらなくても、その隣の人は次の駅で降りるよ。 たとえばあのサラリーマンは知らないのだ。 京阪電車では、樟葉駅辺りから中書島ぐらいにかけての景色が移り変わるのがとても素晴らしいんだということを。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 仕事にはだいぶ慣れてきたと思う。 朝は勝手に目が覚めるようになったし、 上司さんに赤と緑を一緒に使うな。と言われてもめげなくなった。 そしてあくまで短い距離感、あくまで小さい世界の中で 私は地下鉄のプロに。 乗り継ぎのノウハウや、その薄暗くて閉鎖的な空気には、驚くほどに慣れたけど あの京阪電車のような あんな気持ちになれることがない。 地下鉄では、変な人間が多いから、 景色を諦める代わりにときどきそんな人たちを見ている。 そんな人たちもときどき私を見つめ返す。 そしてすぐにお互いは視線を外して、 その胸に映した景色はどんなものだろうか。 彼らは彼らの世界へ、 私はあの頃の京阪電車を。 出来るならば、京阪電車のプロのまま職場に通いたい。 そうすれば、赤と緑などと、反対色を組み合わせようというような馬鹿げた考えも消えてくれるかもしれない。 そして そんな私は地下鉄ではまだ素人なのかもしれない。 そんなことを思いながら地下鉄を知る。
by aoi-ozasa
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