その日私が着いたその先は昭和を感じさせる古いマンションの一室だった。
1階部分の区切りを全て取っ払い、部屋は大きなフロアのように筒抜けになっている。 かび臭い気がしそうな古い建物で、中は少し薄暗く感じる。 床にはダンボール箱が幾つも積み上げられ、中からブランド品の数々が覗く。 奥の方には、大きなビリヤード台ほどの卓があり、その卓を囲んで椅子が並べられている。 まさにプレゼンテーションの場にふさわしいといった具合に、 天井から何本もの蛍光灯がせわしなくその卓を照らしている。 そんな卓を囲んで胡散臭い眼鏡の親爺たちが 獲物を狙う目つきで 値踏みするかのように宝石を手に取っている。 そんな親爺たちに交じって席主部分には卓を支配する男が居た。 発句(ホック)と呼ばれる人間だ。 月曜日に父親が車を出して私を連れていった先はそんな場所だった。 質屋の競り会場とでも言おうか、 その道の人間には「槍の市」と呼ばれているらしい。 父の言うところによると、槍のように一斉に値段を言い放つところがこの語源とか。 それは必要以上に高騰してしまうことはないが、その代わり値踏みしてしまうと何も買えないし、相場が分かっていないと元の取れないような高い値段で競り落としてしまうということを表している。 もちろん後から、もっと高い値段を出すと意気込んでも買えない。 その一瞬が勝負で、その瞬間こそがギャンブルだ。 そして、そんな喧騒かとも思われるような叫び声の中から 一番高い値段を聞き分けるのが発句と呼ばれる人間の役目で、そんな尋常さを逸した人間は、 音楽のセンスさえあれば指揮者でもなれるんじゃないだろうかと思えるような聴覚の持ち主であり、 それはまさにこの場での支配者とも言える。 この日私が行った会場の発句は二人だった。 二人とも頭を丸めており、やけにラフな身なりが余計に威圧感を感じさせる。 年齢はおじいさんにも見えるし、父親より若くも見えた。 そして同じ顔をした発句は誰がどう見ても兄弟で それが何故か可笑しくて余計に魅力的だった。 発句の一人は台の上であぐらをかいている。 席主部分に座るもう一人の発句が、グチャグチャに放り込まれた宝石類の中から ひとつを取ってルーペで凝視し、 「これはあれだな」とか何とか呟きながら、 弟である発句に投げる。 弟の発句は、小さな箱でそれを受け取り、ルーペで確認する。 一瞬周りの人間の緊張が伝わる。 皆、頭の中で数字を叩き出している。 「あれの相場はこんなもんだから、あれぐらいで売れるとして、そうだな、妥当な値段は・・」 たぶんこんな感じ。 そんな周りを見渡して、いくよ? そんな表情をした次の瞬間、発句が最低値を叫ぶ。 一瞬の勝負のはじまりだ。 私は、というとその勢いにかなり腰が引けていた。 間違いなく私が一番若かったであろうし (しかもその日に限って何故かワンピースなどという乙女な服装だった) 昔取った杵柄で、父親に紹介こそしてもらったものの、 バレバレの新人なので相手にもされてない感じだった。 なんとか競りに参加したくて、前まで行ったのはいいが、専門用語も分からないし、その速さと怒涛の如く競り落とされる商品たちに、とてもじゃないけど付いていけなかった。 時にはなんとか声を出せても、小さすぎて届かなかった。 父親に助け船を出すかのように顔を見合わせるが、だめだ。 この人もびびっている。 結局、何時間も競りは続けられ、 私の戦利品は、新品のフェラガモのヴァラパンプス一足のみ。 一瞬の勝負に勝てたのはいいが、 本当にそれ以上の値段で売れるのかちょっと 自信はない。 ただ、この日の初めての経験が私を炊きつけたのは言うまでもない。 その人知に長けた発句や、それに集う胡散臭い親爺達や、 物の値打ちを知っているということが かっこよくて仕方なく思えた。 私はいずれ質屋を継ぐ。 決められていたのではない。自分で決めたのだ。 ただ、そんな遠くもないかもしれない将来のために 発句はともかく、少なくともあんな濁った眼鏡の親爺たちに負けてるわけにはいかない。 目を付けていた商品の大半を親爺たちに持っていかれはしたが その中には諦めのつくような値段で落札されたものもたくさんある。 親爺たちだって緊張しているのだ。 競りにはまた行かなければならない。 何しろ顔を覚えてもらわないと。 そして誰よりも賢く、その中の誰よりも 物を熟知して居たい。 それに何よりもの理由がここにある。 私はあの雰囲気が嫌いではない。
by aoi-ozasa
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