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2009.04.22 『脱兎の如く』
ちょっと最近のこと。

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約2年ぶりくらいに前髪をきりました。

前髪切るってのはこう、気分転換の代名詞みたいなもんだけど、
芽吹く春みたいに何ヶ月、何年、自分の額や頬を隠し続けた暗幕を今やっと開くような、
記念式典とかでテープリボン切るみたいに、鋏一つで新しい展開をスタートさせるような…

いや、実はそんな大それたコンセプトなんてどこにもなくて
結局それはいわゆる 
"出 来 ご こ ろ" というやつだわ
と気付く25歳。


だから結果、ものの見事に一向に気分は晴れないというか、
ほんとう一時凌ぎでしかない。お手軽。茶番。アァ我ながら愚劣な。


安っぽい行為だな、とか思うかもしれないけれど
世の男子たちはその辺はもう紳士的に見抜いた上で、
オーバー過ぎずクリティカルな表現をもって言ってくれ。
新しい装いがそう悪くないということを
伝えることを惜しまないでいただきたい。


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すりガラス越しに見える景色ってきれいって、
なんとなくボンヤリ考えていた午後。
水がうまい。



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届いた、頭蓋骨。命名ズガイ。
そのままやん、ズガイって
て思うけど、今初めて呼んだら、あら意外といい響き。

----ズガイ。

…なんかこう、戦記ものの漫画とかで、青の民族衣装、砂漠の民。
隠語のような刺青の入った腕っぷしの良さそうな身体は、
乾いた風を纏うように土色のマントに収められている。
手品がうまい。寡黙というより静寂な品格があり、
酒はいけるがさほど強くはない。
生き別れた女房がいる。

そういうワイルドな年齢不明のおやっさんを想像。
ズガイ・・・

現実には居ないとおもう。
そして別にそういうのがタイプというわけでもない。



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最近よく見かけるおはな。
なんか花びらとか蛍光っぽいオレンジだし、茎とかひょろっと長くてかわいらしいんだけど、
こういう木の根元とか、なんか花好きのおばさんとかが異様に愛でているような
パンジーとかの植木鉢の下辺りでよく見かける。
雑草なのかなー
他の草木の栄養分を盗って生きているのか。
そう思うとこわい。

コイツ、かわいい顔してなんてしたたかなんだ。猛禽類め…
別に私の生活にはなんの支障もきたしていないが、何故か怒りすらこみ上げてくる。
抜いてやろうか!
と思うけど、特別抜く理由はないし、抜いた後どうしたらいいのか分からないので
結局いつも通りすがるたびに抜いてやろうか!
というプレッシャーだけ与えるようにしている。
べつに今妊婦特有の情緒不安定というわけではない。
ちくしょう、なんなんだ。
お花め!

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今年も毛刈りに成功したギズモ。
ライオンカット、なかなかかわいい。
本人は40を越えるおっさんだが、ぼんぼりになった尻尾はわりとお気に入りらしい。

モグちゃんは最初、毛を刈ってたった数時間で体積共に突如変貌してしまったギズモが誰か分からず
困惑して逃げ惑っていた。
猫とかって匂いとかそういうので分かると思うのだが、
あきらかに知らない猫を見るような感じで威嚇すらしていた。
今2週間ほど過ぎて、また前のように仲良く(追いかけあう程度)やっているが
モグちゃんは多分、違う猫と思っている。



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夫と花見にいった模様。
お金がないのに、夫婦でNIKONのカメラとレンズを購入。
なかなかよく撮れる。
ご機嫌でシャッターを切る夫。で、それを撮る妻、私。
・・・・
たぶんこのカメラ、夫しかつかわない・・


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この季節のこの場所、いちばんきれい。

いつも車からしか見ていないから、一度は車を脇に停めて
陽が沈むまでを拝んでいたい---
と思っているけれど、結局いつも通り過ぎるだけ。
あれ、欲しいなとずっと思っているのになんか買わない商品と同じ。
特別欲しくなかったのに思わず買ってしまうものもあるのに
何が足りないんだろう、
と思って、いや足りすぎているのか。と思った。

満足してしまっているのだ。見ているだけで。
買うことだけがゴールでないように、手に入れ方っていろいろある。
私にとって、ここの景色は、車窓からふと眺めるのがゴールだったのかもしれない。
もちろん、ゴールの先にもっと素晴らしいスタートがあるのだろう。
だけどひとまずは足りてしまっているのだな、
満足してしまうことは、時に欠陥していることと同等の力をもって
わたしたちの価値観を、距離を狭めてしまうのだ。

などというようなことを思った。

もっとうまいこと思ったはずだったが、
書いてみたら当たり前のことだった。
そういうのよくある。




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引き続き運転中。毎日往復1時間半ほど。
実際、妊婦は別に運転したらダメってことはない。
ただ集中力が途切れることと、お腹がハンドル捌きを難しくするので
控えましょう、ということらしい。
とりあえず実家に帰る臨月まではがんばろうと思う。
仕事は陣痛がくるまでするつもり。一見ありえない話だけど結構そういう人もいる。
これぞ自営業のきわみ。
産んでも質屋です。


さ い き ん

真・三國無双4にハマる。
夫とふたりねむれない夜。
ゲームは危険だ。

さぁまた日々がはじまる。
無双のように。切って切ってきりまくれ。
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by aoi-ozasa | 2009-04-22 20:26 | Daily life
2009.04.10 『アマルコルド(私は覚えている。)』
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土曜日。

前の晩から雨が降っていて、
もう4月だというのに肌寒く身体を縮ませるような朝は
差し出されたバトンを冷たく振り払うように。
新しい季節を受け入れられず、
精一杯さいごの拒絶しているようであった。



母親の運転する車の助手席で、
シートを目一杯に倒して窓に沿う雨水をみていた。
普段毎日運転しているので、時々こう誰かの運転に身を預けると、
体どころか心までもがもぬけの殻と化してしまう。
それは他人から見れば、投げやりで無気力な姿に見えるかもしれないが、
当の本人はどちらかというと充電状態に近かったりするから不思議だ。
その頭の中は曇っていようが膿んでいようが、
本能的になった感覚は、日常よりずっと研ぎ澄まされているような気がする。
石よりも水、水よりも流れ。
時々はこうして身体を完全にストップし、
過ぎて行く時間にただ呆然と埋もれていたいものだ。


じいちゃんのお墓についた頃、
その粋な計らいで、妊婦の身体を気遣ってくれたのか
少しだけ雨が止んだ。
墓場には私たち親子以外に誰も居なくて
だけど添えられた花たちが、墓石だけの冷たさを緩和していた。
私達は墓石の前で手を合わせて、いつもよりほんの少し長めに挨拶を交わした。
静かな午後。曇り空、肌寒い四月。
線香の匂いが鼻をかすめる。
雨はそのまま、
ばあちゃんのいる施設に着くまでの間降らなかった。




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ばあちゃんは、驚くほどに弱っていた。
話には聞いていたが、現実は目をそらしたいほど生々しかった。

虚ろな瞳はほとんど焦点が合わず、頬は痩せこけて、
スプーンで与えられるミキサーにかけたシチューもほとんど飲み込むことができなかった。
銀髪の頭をマッサージしてあげると、
触れたところからパラパラと崩れ落ちてゆく砂壁のように
細い髪の毛が何本も何本も手に残った。


桜を見せてあげたいと思い、
出る前に小さな一枝を手折って持っていって差し出した。
それを握ることなく振り払った弱弱しい腕は枝のように痩せ細っていた。
私は桜の枝を拾ってポケットに入れて、
細枝の先端についた和紙の花のような手を撫ぜてやる。




屋根より高い こいのぼり
大きい真鯉は おとうさん
小さい真鯉は 子供たち
おもしろそうに 泳いでる

五月の節句に向けて、
施設の壁には「鯉のぼり」の歌詞が貼られていて、
私たちが歌うと、息だけの声で歌詞を追うのが分かった。
歌がとても好きなのだ。
たとえ声を失ってもそれは変わることはなく、
そして人には、人知や理性を越えて染み込んでゆく習慣がある。

ばあちゃんはずっと俯いて、まるで分裂症のようにブツブツ言い続けて
ほとんど会話は繋がらなかったけれど、
母が、赤ちゃんがいるよと私のお腹を指差した、そのときだけ反応したのがわかった。
恐らく、老人だらけの施設の中で赤ちゃんという響きは新鮮だったろう。
どんな気持ちだったかは分からない。
その新しい命の存在が、ばあちゃんにとっても希望のようであればいいと思うのは
私や母の願いのようなもので。

ばあちゃんは恐らく赤ちゃんに会うことが出来ないだろう。
私達を越えて、虚ろなどこかを見る視線は苦しそうで、
遠くじいちゃんたちのお迎えを、今か今かと待っているようだった。
何よりチューブや点滴で繋がれて延命されるということを、
じいちゃんの時に嫌というほど味わっている本人が、それを嫌がった。
それでも生きてほしいとは、娘である母でさえ言葉にしなかった。
それは、私であってもそうだろうと思う。



ばあちゃん
ばあちゃん
ばあちゃん

まだ脈打つ本人を目の前にして
過去の人のように、思い出ばかりがよぎるのは
いまの現実を受け止められずにいるからか。
思い出ばかりが先走り、篭城しようにも感情は
堰をきって溢れ出す
せめて
草木が枯れおちてゆくように、ゆっくりと
平穏に
柔らかなときを過ごして欲しい。



じいちゃんの墓石の前、
深く深く頭を下げていちばんに願ったことは、
じいちゃんまるで騎士みたいに鮮やかに、
ばあちゃんを迎えにきてやって
だった。



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公園に桜がまう。
どんな細い枝もしっかりと花をたずさえて
365日にたった1週間ほどしかないこの時期を悠然と咲き誇っていた。

ばあちゃんにあげた桜の一枝はその花を散らすことなく
家に持ち帰ると、
ベルカとムンクが花びらを全部食べてしまった。
私は怒ったけれど、まあそれもそれで良かったかと
思えるような気もした。




今週夫は、急遽入院となった弟さんを見舞いに
東京で北海道の家族と過ごしている。
私は留守番をしながらその帰りを待つ。

毎日くれるメールや電話と、日記を読むと
容態は芳しくはないものの、快方に向かっているようで安心した。
まだ会ったこともないけれど、夫と家族になった瞬間から私の中で
夫の家族は私の家族も同然で。
弟を信じる、と力強い夫の言葉に、
なぜか私まで勇気付けられる朝。
そうした信頼感は、簡単に築き上げれるものではなく、
いろんなものを乗り越えて、今その手のひらにあるのだと思う。

わたしの手から、ばあちゃんにはどんなものが伝わったろうか。
後はまかせて、と
そんな風に優しく背中を撫ぜてあげることができたのなら
それはわたしにとって本望だ。

春を通り越して、初夏のようなまばゆい光。
様々な場所に、家族の絆、その命の存在を感じさせられる日々。
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by aoi-ozasa | 2009-04-10 16:01 | Daily life
2009.04.04 『恋じゃないか』
まるで恋じゃないか、

と思う。

皆、同じように首を長くしてその再会を待ちわびていた。
ラブレターの返事を確かめるため何度もポストを覗くように、
それを待ちわびる姿勢はその度につくため息に似ていた。
長い長い眠りをゆるやかな目覚めへと誘う暖かい陽射。
リストの「愛の夢第3番」追い風のようなピアノが吹きぬける。
同じように私も、愛しい恋人の名前を呼ぶように発音する。

春よ
春よ、傍にいてくれ

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少しずつ桜の開花が見られ、
あちこちで新しい季節の祝福と産声が聞こえます。
祝福されているような暖かい日中は、
眠すぎて死んでしまいたくなりますね。

ギズモとモグちゃんはたいぶん仲良しになりました。
まだまだギズモの警戒心は強いけど(これはたぶん性格)
このように同じ空間に居ることをそう悪いとは思わなくなったようです。
いつもギズモが少し高い位置。
王様としもべみたいだ、と、しもべて、すごい失礼な発言をする母。
分からなくもないけどね。モグちゃん頭ぺっしゃんこやしね。


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腹の塩梅は良いです。
個人案件のHPの仕事がやっと終わりましたー。
働く主婦妊婦には、この案件は長かった・・

新居のMacにはPhotoshopとか入ってないし、
仕事終わって夕食作ったりしてると
もうそれだけで一日が満たされて日記書く気が全くしません。
まぁ臨月になったら実家から仕事に通うし、
嫌でも夜暇になると思うんで、ぼちぼち更新していきます。
ここも長くなったしそろそろ引っ越そうかなーと考え中。
どっかいいとこ知りません?ブログ。
小賢しいことがいろいろできるとこです。

言葉と恋愛も心中もする気も度胸すらもないですが
ときどき無性に触れたくなるのはなぜなんでしょうね。
理由は分からないけど、離れられないものってあるよね、みたいな。
私の何かに対しての愛っていつもそういう感じな気もしますが
複雑に絡み合って二度と外せないようながんじがらめの鎖よりも、
そういうあぁ~ちょっと後ろ髪ひかれるーぐらいの引力がすきですね。
無責任なだけかもしれないから、
これが他人の発言だったら
ろくでもねえなと思いますけどね。


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こないだ、
東京から遊びに来てたじゅりえちゃんが
うちに泊まりにきてくれました。
(ひさびさに女の子と喋れて嬉しい気持ちになった変態的。)
じゅりちゃん、ノブ君からプレゼント受け取りました。
どうもありがとう。素敵な匂い。私意外とこういうのダイスキです。
旦那は匂いを発するものそのものが苦手だそうなので
ひとり実家、これで贅沢なガールズタイムを楽しみます。




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3/27は夫が坂本龍一コンサートをプレゼントしてくれました。
サンケイホールブリーゼは、
真っ黒なホールがコンパクトでなかなかよろし。
というか出来立てできれい。


初めての坂本龍一のコンサート。
入ってきてすぐにピアノの弦を直接触る調教師のような姿は、
まるで会話や介護をしているようでした。

触れた箇所から直接反応が帰ってくる。
それは生き物同士が肌を合わせるのに似ていて、
その間に言葉を必要としません。
柔らかい粘土に指の先を押し付けて形を創ってゆくように、
触れたところから熱が拡がって波紋を呼びます。
それが空気の振動となって、呼応となって、
誰かを喜ばせたり泣かしたりします。

躊躇することなく、我が子の頭を愛でるように強く優しく触れてゆく。
わたしはそれが音楽であると気づくのに、
ずいぶん時間がかかってしまいました。


観衆が息をのむ様な静寂の曲が終わると
癒しの1滴のように、
優しく柔らかい指がピアノの鍵盤にひとつ降ろされます。
決して大きな音ではありませんが、その1音は、
滑走路を猛烈なスピードで走る列車さえも止めてしまえるのではないか
と思うぐらいに強く、深く喉の下辺りを貫いて、
私は不覚にもそのたった1音だけで泣けてしまったのでした。

みっともないぐらいに泣けて、泣けて
でもそれがただ悲しいだけの音楽じゃないから不思議で、
私は、ラピュタに1機だけ生き残された
ロボット兵が出てくるシーンを想っていました。
死んでいった仲間たちをただひたすら埋葬しながら
気が遠くなるような時間を過ごしていたあのロボット兵。

孤独で、みじめで、本当に気の毒で
でも子供ながらに彼は幸せであるのかもしれない
などと考えたものでした。
それはあまりにひどい現実を隠蔽する為の、
私なりの救い的な発想だったのやもしれませんが・・
とにかくその時と似たような久遠の日々を、
私に連想させたのです。

孤独と対峙するときの唯一の救いは、
それまでに出会った魂の存在である。

間違いなく感謝していたのです。

非現実であったかもしれない今のようであれることにも
そう思えるような自分であれたことも。



混同を産み、泡沫のように拡散されてゆく音。
これ以上ないぐらい楽しみました。

きみにも届いていますでしょうか?


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母子は一心同体だとよく言いますが
実際に、なんとなく感情が伝わるときがあります。
母親がリラックスしている時、
赤ちゃんもお腹の中で気持ちが良いそうです。
胎教とかぜんぜんやってませんが、普段せわしない毎日を送っているので、
きっと良い時間だったろうと思います。


さて、明日、明後日と花見ですが、雨・・?らしいよ。

最近ばあちゃんが亡くなったじいちゃんの影を見るそうです。
会えるのはこれが最後かもしれない。
明日はばあちゃんの顔を見てきます。
戻ったら花見も顔だすよー

ではでは。皆様も、春風邪にはお気をつけて。
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by aoi-ozasa | 2009-04-04 01:00 | Daily life
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25歳なりました。日記は長いです。覚悟してください。
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