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2007.08.24 『ばっすい』
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昨日大阪は晴れていた昼が嘘のように夜、すごい雷が鳴って
私は雷がとても苦手なのだけど、自分以上に愛猫が怯えている様子を見て
自分に言っているのか、猫に言っているのか
大丈夫やからと傍に居て何度も頭を撫ぜてあげた。
気持ちよさそうに喉をゴロゴロしてる。
猫たちは気持ちが分かるらしい。
人間と違って、あまり声を発さない動物達は、代わりにテレパシーなるものを
神様にいただいて、声にならない想いを読み取るのに長けているんだそうだ。
そういえばおじいちゃんのところの猫たちも
気のない素振りをして、「かわいいね」という気持ちには敏感な気がするな。
わたしはねこたちの気持ちがちっとも分からないが、
でもそれを補うようにして、時にうっとおしい意外のなにものでもない
滑稽なコミュニケーションを取ることもなかなか悪くないと思う。
猫たちからすると、既知の感情
もう分かってるよそんなことは といったところだろうか。

本や漫画を読んだり、ときどき気になる言葉が浮かぶたびに
書き留めてきたモールスキンの半分がようやく終わった。
絶対に他人に見られるわけにはいかないと思うほど、変態みたいに小さな字や落書きで埋められている。
中には何のつもりだったのか叡山電鉄の時刻表や頚椎の断面図まである。
わたしはこの抜粋という行為を1年以上も続けてきた。
友人との電話中、移動中、眠る前の読書の時間、こうやって日記を書いている最中…
様々なシーンで、抜粋をしたいという衝動を行動に置き換えてはきたが
ときにモールスキンを家に忘れたり、なんとなく書き渋ったりして間を抜いてきたので
とても勤勉的な感じはなく、ストイックというよりも純粋に近い行為であるように思う。

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黄色いモールスキンは最早カオス状態だ。
新聞や小説から拾った文章に、自分の感情をぶつけたものと同列に
ギリシャ文字の呼び名とその意味、世界の四大元素、月や天使の階級、
読んだ本や聴いた音楽のタイトル、カタカナ語辞典のア行や哲学者達の言葉・・・
なぜか1枚だけインキュバスのアルバムの内容までもが書き留められている。
ところどころに意味の分からない落書きや塗りつぶしがあり、無造作に貼り付けられた
シールや切り抜きがそれをより一層わけの分からないものに仕立て上げる。
そこにルールはなく、まさに無法地帯。
昔、ノートが美しい子供は頭の整理がなされているので勉強がよく出来る
ということを先生に言われたことがあるが、
もしその先生に、卒業して成人した我が教え子のこのノートを見られることになったら
さぞかし落胆されることだろう。
これはとてもアホの子のノートであることが分かる。
ただきまぐれに、やりたいように、膨大なデータを凝縮しているが
ルールがなさすぎるので、全く関係のないことが同じページ内に書かれており
文字の大きさや形、色までもがバラバラなので、索引するのはそれが著者であっても不可能に近い。
その機能性のなさと自由度の高さから
もうどうしようもないほど、このノートは純粋なのだ。

そしてそれは乱暴で率直で、どちらかというと狂気の沙汰に近い。
様々なことが描かれているこのノートだけを見て、組み立てた人間は
とてもじゃないけど私に似ていない
これらを抜粋したのは間違いなく自分であるはずなのに、
記憶力の悪さからかあまりに漠然とした内容に自分でも驚かされることがある。
だけどこれは間違いなく純粋な自分の結晶であり、一部であるはずだ。
それも書き留めたい、と思ったほどの強い欠片。
まさかこんな場所にまでなりたい自分を演出しているとも思えないので
だとしたら普段の自分は相当な願望で仮面を被っているということか。
ははは、なんて馬鹿なのか、元素記号まで書き留めてやがる。
いったい何になりたいのか。
ねこたちも呆れかえっていることだろう。

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純粋な想いだけでは実を結ばないというのを聞いたことがある。
そこに行動が加わって、表現が補って初めてそれが形となって残るのだと。
それは確かに間違いないとも思える。
恋焦がれているだけでは一生待ってもハッピーエンドなんて訪れそうな気はしない。
それならばねこたちへのコミュニケーションは行動の理にかなっているのかもしれないな。
いくらねこたちが、感情を読み取る能力に長けていても
愛ならば手のひらからのものじゃないと失礼にあたるのかもしれない。

今ようやく分かったけれど、このモールスキンの中身は
私のきれぎれになった感情たちなのだ。
ねこたちが時には望んでくれるように、多少不恰好でもそこには形が必要で
届かない想いや、憧れをのせて、それがいつしか実になる日を待っている。
あらゆるシーンで生まれた喜怒哀楽の感情がぶらさがったキーワードたち
「無駄なことなど何ひとつない」と言われる日を待っている。
それは恋焦がれる乙女達のように
たぶんかぎりなく純粋なのだろう。
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by aoi-ozasa | 2007-08-24 04:13 | Daily life
2007.08.21 『母がスカートを履く』
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突然に訪れた夏の暑さにうとうととまどろんでいる間に
8月ももう残すところ僅かになったようだ。
私はというと、スピリタスを飲んで急性アルコール中毒になってぶっ倒れ
馴染みの友達に迷惑をかけたり、BBQで肉が喰らえなかったり、
まぁ割愛するけども。 奇妙にも夏らしい日日を過ごす。
全く、時間というものは、相もかわらずそっけなく
いとも簡単に達成感や喪失感やらをごちゃまぜに運んでくる。
ガハハと大口開けている間に、そのことにも気付かないで虫が出たり入ったりするようなものかな、とも思う。ぜんぜんそんなの嫌だけどね。

さいきんは母が居なくていつも以上に仕事に追われ、プライベートな事情もてんこ盛りで
普段ほとんどを大好きな家でゆっくり過ごすことが生きがいである私にとっては
なんだかもう、ほんとうに放心してしまいそうな感じなのだけど
身体がそれを遮らないのは
なにもオカンの選挙が楽しみだからということだけではない。


オカンが市長選に出馬する決意を出したのは8月に入ってすぐのことだった。

私がその決意表明に、大した反応を示せなかったのは
無関心なわけではなく、まさかゆったりとした性格であるからなはずもなく
まさかオカンが、いつか市長になりたいと
20年近くも思い続けていたというのを笑えはしなかったからだ。
行政経験があるわけでもなく、それほど身近にあったわけもなく
ただ、一介の市民として、ただ、一家の支えとして生きてきたオカンが
いったいどんな経路でそれを想いにし、言葉に変え、
実際の行動に至ったのかのほとんどは、本人のみぞ知るというやつだけど
意識には経緯があり、行動には意思があるように
私はただやりたいならやれば、と背中を押して
その想いを大切にしてあげたいと思った。

”絶対に勝ち目がない”と言われているその場所に
突然何の用意もなく足を踏み入れた母は毎日忙しそうで、
色んなところに電話をかけてはくたびれた様子で
まるで自分に言い聞かせるかのように
いかに今の状況を楽しんでいるのかを聞かせてくれる。
いかに真剣に、どれほど自分はこれを望んできたのか。
私は分かってるよ、と思いながら
服を選んで!と次から次へと服を持ってきては意見を問う見慣れない母のスカート姿に
少し困惑したりもして。
いつもは静かなのに、寂しげな感じが全くしない2人だけのこの家も
そこに住むにんげんも最近なんだか騒がしい。

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オカンを見ていると、心配や不安よりも
背中を思い切り叩きたくなってくるような感情がある。
花火を当てるかのようにパチパチと何度も何度も
立ち止まるにんげんに"背中を押す”というのとはまた違うだろう。
だって彼女を止めることなんて不可能で
ただただ私は、その手のひらに心からのエールをありったけに乗せては
それが彼女に届くことを祈るだけだからだ。

オカンは私などが足元にも及ばない高学歴で青春時代を過ごし、
私を産んでからも心理学の受講を受けに行って、質屋店主の傍らで少林寺拳法と
保護観察の業務をこなすような、とても芯が強く真面目で努力家な人だけれど
生まれ持った楽天的な性格が、わたしは娘ながらになかなかいいと思う。
マニュフェストの立ち上げやスピーチの原稿に挨拶周りをこなしながら
ときどきふいに少年のような顔で冗談を言う。
私もその冗談に悪ふざけをする。

私は今年で24歳になり、オカンは54歳を迎え
30歳の歳の差が埋まるはずなどありえはしないのに
どこまでいっても親子という関係が変わるわけがないのに
その瞬間、私とオカンは同じ時代の青春を過ごす級友となり
互いに服装をあーだこーだ、互いの夢を鼻歌交じりに交わしながら
お喋りをして、喧嘩をして、時には真剣に言い合う。
私にはそんなとき
あたかもそんな時間を一緒に生きてきたかのような
まるでそんな時間が今ここにはっきりと存在しているかのように
そういう感覚が胸を通り過ぎる。
そんな暖かい気持ちに胸がいっぱいになる。
そしてそんな二人の姿は、
過去や未来や現在に無限大に潜む、私と母という関係の形がある中で
唯一の存在であるようにも思えた。

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あとたったの2,3週間でひとまず劇は幕を下ろし
そこには結果というピリオドが打たれる。
そのピリオドが今後のわたしたちにとってどんなものになるのかは
まだ誰にも分からない。
ただ一つ言えることは、私とオカンの物語はここにきて
またひとつ新しい顔を見せたということ。
どんな結果になったとしても、オカンとこんな風に過ごせたことが
たまらなく嬉しいのだ。

私が私でしかないように、オカンの人生はオカンだけのものであり
オカン自身が切り開いていくものであると私は思う。
そしてそれ同様に、そんなオカンに育てられ、少なくとも今年の夏のような経験を
させてもらった私が、それ以上に自分の道を切り開いていこうと思うのは
なにも不自然なことじゃないだろう。
ただ、私の人生はまだまだ長く、たぶん険しい。
大事なのはそれを未熟な自分がどれだけタフに満足できるものにしていくか、だ。
踏み出すだけで生まれるものがある。
それは間違いなく彼女から学んだことなのだ。


明日8/22、19時に守口市のエナジーホールで
オカンの決起集会という初公開講演があるので、お時間の許す方、興味を持ってくださる方は是非応援しに行ってやってください。
↓オカンブログです
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/
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by aoi-ozasa | 2007-08-22 02:00 | Daily life
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